歴史

参入

1940年代、スウェーデンの航空・軍需品会社であったSAAB社は自動車の開発に着手した。第二次世界大戦の終戦翌年の1946年、2サイクルエンジンを搭載した前輪駆動車「92001」を完成する。水滴形のボディ、強固なモノコック構造等には航空機メーカーの特色が現れているとされる。ボディ設計時には、当時としては珍しい風洞実験が行われ、CD値 0.32を実現していた。また、雪上走行を考慮して、車体下面にカバーが施されていた。

その量産仕様「92」は1950年に販売が始まった。これ以後、「92」の発展モデル「93(3気筒エンジン搭載)」や「96(後にドイツフォードのV4エンジン搭載)」で国際ラリーでも活躍する一方、スポーツモデル「ソネット」シリーズも生み出した。これら一連の「92」発展モデルの製造は1980年まで続けられた。

量産車初のターボ

1967年にはその後のサーブスタイルの源泉とも言うべき、中型の「99」が登場。1977年に量産市販車で世界初のターボエンジンを搭載した「99ターボ」を発売した。

900の人気

直後の1978年には主力モデルを改良型の「900」へと移し、ターボモデルも引き継がれた。1984年には「99」の後継となる「90」が登場した。「90」のボディーは「99」の前半部と「900」の後半部を繋いだもので、ベーシックカーとしての役割を持たされていた。 なお「900」はその個性的なスタイリングと、パワフルなターボエンジンの組み合わせがアメリカや日本などで高い人気を呼び、さらに1980年代に入り追加されたコンバーチブルモデルも人気を博した。

フィアットとのジョイント

1984年にはイタリアのフィアットグループとの合弁事業『ティーポ4・プロジェクト』で、フィアット・クロマ(Fiat Croma)、ランチア・テーマ、アルファロメオ・164との姉妹車となる「9000」が登場、大衆車メーカーから高級車メーカーへと転身を図った。 また、スウェーデン国内では、自社の販売網で初代ランチア・デルタ(「Saab 600」の車名で。このモデルの空調機能の開発にも協力していた)やランチア・Y10を販売し、フィアットグループとの連携姿勢を保っていた。

GM傘下に

1990年、乗用車部門がゼネラルモーターズ(GM)との折半出資会社「サーブ・オートモビル」に移管され、2000年にはGMの完全子会社となった。この間、GM傘下のオペルのプラットフォームを利用した新型900(1993年。後の初代「9-3」)や「9-5」(1997年)などが登場した。 しかし2000年代半ばになると、親会社であるGMの経営不振により新車の開発、発売は停滞し、その結果最大手市場であるアメリカやヨーロッパのみならず、各国で市場シェアと販売台数ともに低落傾向が続いた。

事業撤退からスパイカー・カーズ傘下に

2009年、親会社であるGMが経営破綻、不採算部門であったサーブ・オートモービルズも公的管理下(日本の会社更生法やアメリカの連邦倒産法第11章の適用に相当)におかれた。GMはスウェーデンのスーパーカーメーカーのケーニグセグへサーブ・オートモビルを売却することで基本合意していたが、ケーニグセグは買収資金を確保することができず白紙撤回された。GMはその後もオランダの高級車メーカーのスパイカー・カーズと売却交渉を行っていたがこれもこの時点で一度決裂した。

2009年12月に、GMと中華人民共和国の北京汽車との間で『9-3』と旧型『9-5』の知的財産権とパワートレイン技術、旧型『9-5』の生産設備一式を売却することが基本合意された。2010年2月に、オランダのスパイカー・カーズへのサーブ・オートモービルの売却が完了し、サーブ・スパイカー・オートモービルズとして再出発することになった。旧型9-5の製造ラインを北京汽車に譲渡出来次第、新型9-5の生産をスウェーデン・トロールハッタン工場で開始する予定である。

Saab Automobile AB

種類 株式会社
本社所在地 スウェーデン
Åkerssjövägen 10 461 80 Trollhättan
設立 1947年
事業内容 自動車製造
代表者 Carl Peter Forster 会長
Jan-Åke Jonsson CEO
従業員数 4108人 (2008)
主要株主 スパイカー・カーズ